「伝える」ということ-2
さて、前回の記事では恥ずかしながら自分の経歴を書いてみました。
そこからどんなことに気づき、石けん教室にどんな風にいかしていけるのか比較・整理してみたいと思います。
10年間のPCインストラクター経験
ここでは、本当にさまざまな経験をしました。特に思い出されるのは・・・
・あまりにも難しすぎる質問に答えられずに悔し涙を流しながら帰路についたこと。
➡アロマや石けんでもあるかもしれない。解決策は自分の引き出しを増やすこと。いつでも引き出しを引けるようにしておけること。
・疲れすぎて夜中に泣きながら翌日発表の新しいソフトの講習会のために勉強したこと。
➡思った通りの石けんがなかなかできないかもしれない。そしてワークショップやレッスンの準備でつらいこともあるかもしれない。解決策はあきらめないこと。増やした引き出しの中から組み合わせて新しい引き出しができると自分を鼓舞すること。
・怖い顔をした人の前でボロクソに叩かれながらインストラクションの試験を何種も受けたこと。
➡最終的には自分が怖い顔をした人側にまわったのですが(笑)
これは一言では言い表せないほど今の自分に役にたっているなぁって感じます。自分が試験官をしていたときにも感じましたが、「使える」から「教えられる」わけでないということ。
中心に置かれる人物は「使える」は「自分」。「教える」は「他人」。
石けんに置き換えてみると「作れる」から「教えられる」というわけじゃないかもしれない。
インストラクションというのは「自分が教えたい」ことを教えるのではなく、「相手が知りたい」ことを教える。
Wordの説明をしながらコレを思い出したわけです。
石けんって自分の趣味でもあるから生徒さんと話しがあってしまったりして「相手が知りたいこと」を教えている気になっている。
でも違うかも?多分、自分が伝えたいことを伝えてるだけじゃん!ってね。自己満足に近いよね?って。
パソコン関連の講習会なんて会社に言われてイヤイヤ受講している方がほとんど。当時なんてなおさらです。だから受講者が飽きない工夫や話を聞いてもらえる工夫が必要だった。
石けんはもともと興味を持ってレッスンに来られるから話すこちら側もそんな工夫が必要とされないことがほとんどです。だけど、それでいいのだろうか?もう少し、考えてみないといけないな。
本を書いていたこと
全国で使われるセミナーテキストやら書店で売られるPC関連の本を数年間書いていました。
ここでもやはり泣きながら書いていたわけですが(笑)
これ、今の自分にすごく役に立っています。わたしのテキストはこの経験をもとに作っています。
この段落とこの段落は同じレベルだから設定は揃えなくては!とか行間はどうするとか見やすいページにするための工夫をすることも楽しんでできるようになっています。
職業的Excel人として企業に勤めたこと
インストラクターとしてExcelなどの講座をしていた時って発売元の意向のもとに講習会が開かれるわけですが、企業に入ることで実務ではこういう風に使われているんだ!って初めて知りました。と同時にニーズに応えるというのはこういうことかというのも知りました。どんなことがしたいのか、どんな結果が欲しいのかを正確に理解しなければ求められているものが作り出せないからです。
これは石けん教室でも同じですよね。
教室始めよう!と思えるまで時間がかかったのもこれまでの経験から躊躇していたんだなって今ならわかります。
心の奥深いところで「伝えること」の怖さも難しさも感じていたからだと思うのです。
引き出しをいくら増やしても引き出しと引き出しを繋げて大きな引き出しができていないとわかっていたからです。でもいつの間にか引き出し同士を繋げられるようになってるかも?と気付いたのも最近の話です。
これまでのわたしのすべての経験がわたしの石けん教室で生かせるかもしれません。
少なくともわたしは説明のプロだった!と思い出したので、もう少しマトモに座学に向き合うことができるかもしれません。
今後どんなレッスンができるかはわたし次第なのかもしれませんが、一度立ち止まって考えてみるいい機会をいただきました。
ありがとうございます。
そこで考えたこと
たまにほんのたまーにですが、「WordやExcelがうまく使えない」からテキストやレジュメを作るのが憂鬱というお話を聞くことがあります。
ご要望があれば、レジュメ・テキスト作りのご相談に乗れると思います。
WordやExcelの「使い方」ではなく、作りたい文書のイメージを持つところから始めましょう。
PC持ち込みでの対面かオンラインでのExcelレッスン・Wordレッスンもお気軽にご相談くださいませ。
0コメント